2022 / 4 / 19


深夜の荒川の土手を、
エールシオンは歩いている。
夜の雲が月を隠し、近くの視界はほぼゼロに近い。
ぼーっとしているとうっかり土手の端を越えて
下へと転落し兼ねない。

今日は色んなことがあったんだ。

7人のメンバーがついに揃い、
ヘビーレインズというグループ名が決まり、
1人1人のイメージカラーも決まり、
リーダーも決まった。
そして、最初のステージの日程も…。


暗闇の中を歩いていると、
まるで自分が宙に浮いているような気になる。
どこまでも落ちてしまうような錯覚を覚えて
足がふらつきそうになる。

だから自然と、遠くの明かりを頼りにする。
対岸のマンションの明かり、
少し遠くの橋や高速の明かり、
そして何キロも先に異質に聳えるスカイツリーの妖艶な発光。

「何やってんだろ、俺」

と、エールシオンは声に出して独り言を言った。
その声は一瞬にして闇に吸い込まれる。


エールシオンは生まれてからずっと裕福に生活してきた。
家族との関係も悪くなかったし、
特別な力や特別な使命というものが傍にはあったが、
それらは自分にとっては自然なもので、
重圧のように感じたこともなく、
これといって不服だったことは何もない。


だのに、ある雨の夜、
エールシオンは飛び出した。


その夜は酷い頭痛がしていた。
頭の中にずっと声が響いていたのだ。
その声はこう囁いていた。


『…この雨はあがらない…』


それが、スペシャリストと呼ばれる古の戦士達からの
呼び声であることを、エールシオンは知っていた。
そういったことが記された文献をいくらでも読んできていたし、
そういったことを、王子として小さい頃から教えられてきていたからだ。

その声が聞こえる時、
エールシオンはこの世の終わりのような頭痛に苦しむ。

頭が爆発しそうになり、
吐き気を催し、
手足はしびれ、
額の緑の石が発光する。

それこそが宿命であり、呪いであり、列なりであり、
力でもあることも、エールシオンは知っている。


『…世界が嫌いなのかい?』
と、その声はエールシオンに問いかける。

嫌いじゃない。嫌いたくない…。

『…人間が嫌いなんだね』

嫌いじゃない。嫌いたくない…。

『…醜いからだろ?』

そんなことない。そんな風に思いたくない…。

『…君には力がある。
ミサイリストとしての、宇宙を創造する力が』


うるさい!!!!!!!!!!!


エールシオンは、幼い頃に読んだ
歴戦の勇者達の戦いの物語が好きだった。
複数人の勇者達がチームを組み、
呪われたダンジョンへ挑む。
傷付いた仲間を助け合ったり、支えあったりして、
勝利へ突き進む…
そういうのに憧れていた。

でも、好きだったのはその一部分だけだ。

語り継がれる物語は、
そんな一部分だけを広げた美談ばかりになるが、
本当の物語の中では、そんなものは
全体の僅かな部分でしかないことを、
王子として帝王学を学ぶ中で知ることになる。

繰り返される戦いの中で、
何度となく戦いに敗れ、
多くの大切な人を失い、
あるいは、友に裏切られたり、
殺し合うことにさえなる。

そしてやがて、そこまでの戦いが本当に
必要だったのかどうか疑わしくなる。

…そんな恐ろしいものに、
いつしか自分が巻き込まれてしまうのが嫌だった。
そんなものとは無縁に、どこまでも自由に生きたい。
勇者達の戦いの美談だけを抜き出したみたいな物語を生きたい。
何不自由のない生活だったからこそ、
そんな風に贅沢な煩悩に迫られてしまったのかも。

やがて、どんなに抑えようとしても、
それは鎮まるどころか焦がれるように滾り、
渇望すればするほど、頭の中の声と頭痛は酷くなって、
そして…


…つまり、俺は逃げたんだ。

あれこれ理由を付けた所で、
自分を言い包めてるに過ぎないよ。
ただ面倒臭くなっただけだ…、
逃げただけ…。


そして今、
何も知らない世界でしばらく暮らして、
今度は少しだけ寂しくなっている…
メンバーがいるはずなのに、
心を開き切れない自分がいる…

ちっぽけな小さな、我侭で、
宙ぶらりんの自分…
何の肩書きもなければ、
ただ落下し続けるだけの自分…
所詮、17年ぽっちしか人生を生きていない
未熟な自分…


「いた! おい!」

一瞬、気のせいかと思ったが、
後ろを振り返ると、
懐中電灯の光に突然照らされた。

「眩しい」
そう言うと、光がどいて、
闇の中からセーラー服を着た男が浮かび上がる。
唐突な驚きに続いて、
自分でも意外なほどの安堵の気持ちが胸に染みるのに気付く。

「…まさか探しにきたのか?」
「うん。ここで何しょん?」
「散歩…」
「ふーん。リーダーに選ばれて、
考えることでもあったんかな」

暗闇の中に薄っすら、
少し呆れたような表情を浮かべるウランの顔が見えている。
下に向けた懐中電灯から漏れ出す光で、
綺麗な顔の淵が微かに光っている。
この薄暗がりなら、
マスクなしでも近付けるような気がした。
安心して、心をむき出しにできるような、
そんな暗がりだった。

「もう帰ろうよ」
エールシオンが黙ったままでいると、
耐え兼ねたようにウランは言った。

暗闇を落下するみたいに、
体が勝手にウランの方へと近付いていってしまう。
もし明るい昼間なら互いにびくついてしまう境界線が、
スローモーションのように後ろへ遠ざかる。

どんどん時間がゆっくりになって、
でも、その落下はどんどん加速していて、
自分を見るウランの目が少しだけ大きくなるその刹那の様が、
まるで、ついに宇宙の底に衝突した爆発みたいで、

…懐中電灯がアスファルトに落ちて、
その衝撃で、頼りの明かりがふっと消えたから、
そこから先は何も見えなかった。


戻らない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!







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第10.2話 Rain Bullet