3023 / 2 / 24



その日は、
西新井TheSPAの男女風呂入れ替え日でした。


いつもは入れない女風呂の塩サウナで、
青い髪の彼が全身に塩をぬっていると
あとから入ってきたピースが、
背中に塗ってほしいと言ってきたので、
ピースの背中に塩を塗ってやりました。


ピースの背中にずっとある、
癒えることのない無数の赤い傷の上から
塩を塗り込むのは、少し抵抗がありました。

でも、「痛くないのか?」と聞くと、
「痛くないよ」というので、塗りました。


すると今度はピースがお返しにと、
青い髪の彼の背中に塩を塗りました。


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同じ日、
タイムレスとダークサイドとオメガという
珍しい組み合わせの3人は、
歌の練習のめたに上野のカラオケ店にいました。

ちょっとおしゃれで、
どこか妖艶な作りのカラオケ店で、
カラオケルームの中はもちろん、廊下も、トイレまで、
そんなセンスの良いデザインで統一されていて、
なんだか中世の貴族のお城のような感じで、


「ち、ちょっと、すみません…、トイレで、誰かが喧嘩してるみたいで」


トイレに行くと言って出て行ったオメガが、
慌てた様子で戻ってきて、
歌っていたタイムレスとダークサイドにそう言いました。


「やったー! 見に行こ~~~~~!」


とダークサイドはマイクを放り投げると、
目をキラキラさせながら部屋から飛び出て行きました。


タイムレスはむっすりとしながら曲を止め、
先に出て行った二人のあとをゆっくりと追いました。


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そしてまた同じ日、
ウランは、社長とBの三人で品川にいました。


その日ウランは、
アリオのバイトが休みで、特にすることもなかったので、
品川にあるライブハウスの下見に行くという
社長とBの二人に付き添っていました。


ライブハウスの下見を終えたあとは、
3人で大井町のイトーヨーカドーの建物にある、
くら寿司で食事をし、その後、
社長は個人的な用があると言って先に帰りました。


「男じゃねーか? ははは」

と、社長を駅で見送ったあとで、
Bがウランに向かって、下品に笑いながら言いました。

ウランもそこで帰ろうかと思っていましたが、
Bが、

「あ、あそこに銭湯あんぞ。おいウラン、行こうぜ」と言ってきて、
「えー」と悩んでいると、
「おごってやるからよ」と言われたので、
「じゃー行きます」となりました。


「お風呂の王様だってさ、すげえなおい」
「そうっすね」


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青い髪の彼とピースは、
塩サウナをたっぷり満喫し、
スパを出たあとは、
それぞれに自転車に乗って、
暗くなり始めた夕方の道を並走していました。


春にはまだもう少し先で、
風は冷たかったですが、
スパで熱せられた体には、それが返って気持ち良く、


「ヴィッ君、風が丁度いいね」
「うん、整う…」


みたいな会話をしつつ、
アリオ前の桜参道を越え、
エールシオンのマンション方面と
ピースのアパートの方面との分岐点に近づいて、
そろそろ「また明日」と互いに言い合おうとしていた時、


突然、

ピースの前方を走っていた青い髪の彼が、
ガシャンッと大きな音を立てて、
自転車ごと大きく転倒しました。


「ヴィッ…ヴィッ君!!」

ピースはびっくりして自転車から飛び降りると、
乗っていた自転車を放り出して、
転倒している彼に走り寄りました。

転倒したのは狭い道の真ん中で、
特に何かにぶつかったとか、
段差があったとかではないようです。


青い髪の彼は、倒れたまま、
両目を裂けるほど見開き、呻いていました。


「大丈夫か!? 怪我した!?」


すると青い髪の彼は、勢いよく立ち上がると、
何かを見つけたかのように、急に遠くを睨み、
険しい表情を浮かべました。


「ど、どうした、ヴィッ君…、おい、ヴィッ君?」

青い髪の彼は、声をかけるピースの方には振り向かず、
どこかを鋭く睨んだまま、


「…そうか、あの部屋が…」

それは低くて、何かに怯えるような声でした。
そう答える彼の瞳に、
一瞬だけ青いヒビのようなものが浮かんだ気がしましたが、
それはピースの気のせいかもしれません。


「あの部屋…?」


青い髪の彼は、ピースの問いかけには答えず、
倒れていた自転車を起こすと、
それに跨って、走り出していってしまいました。

それは、エールシオンのマンション方向とも違うし、
ピースのアパートの方向でもありません。


「え、おい、どこ行くんだよ!!」


青い髪の彼は、その言葉にも反応せず、
どんどんと去っていきます。
ピースは慌てて自分の自転車へと戻ると、
彼のあとを追いかけました。


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ワインレッドに染まった廊下、突き当りを曲がると真っ黒な扉があり、
Restroom・Gentlemenという文字と共に、一輪のバラが飾られています。


トイレまでおしゃれだな、とタイムレスが感心していると、

「何やってんだよ!!」

…というダークネスの叫び声と同時に、
何かが割れる音、
更にオメガの悲鳴が、
扉の中から立て続けに聞こえてきました。


慌てて扉を開けると、中もおしゃれな作り。

赤いタイルと黒塗りの壁を、
ブラックライトが怪しげに照らす中に、
"彼ら"は入口に背を向けて、
非現実的に立っていました。


赤いマントの男に、
足に刺青のある女子高生のような制服を着た女の子…、
その2人の向こうには白シャツの青年と、
ピンク色の髪をした眼鏡の女の子…、
よく見れば、
更に向こうの個室の中で、
パーカーを着た男が倒れているのが見えました。


トイレはそこまで広くはありませんし、
マント姿や、女の子、倒れた人までいるのは、
明らかに異質のはずですが、
妖艶なおしゃれな内装のせいで、
逆にしっくりくるような変な感覚を、
タイムレスは一瞬抱きました。


見ると、
手前の扉の傍で、
ダークサイドが座り込んでいます。

周囲にはガラスの破片が飛び散っていて、
ダークサイドの額からは、血が流れていました。
その隣では、オメガが震えるように立ちすくんでいます。


「え…、何が…」と、


タイムレスは困惑しながら声を漏らしました。


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そこは、西新井TheSPAからだと、
2、3Km離れた場所で、
扇大橋の近くの住宅地の中でした。


辺りは既に暗く、
スパで温まっていた体も、
すっかり冷めきっているはずでしたが、
全速力で追い掛けてきたピースは、
肩を激しく上下させながら、
額には汗を垂らしていました。


「どうしたんだよヴィッ君、ここに用があるのか!?」


…そこは、見知らぬマンションの入り口でした。


青い髪の彼は、
恐ろしい物でも見るように、
そのマンションの入り口を見つめていました。
傍には、彼が乗り捨てた自転車が倒れています。


「ピース…」


彼は、
初めてピースの存在に気づいたみたいに、
ピースの方を見て言いました。

すると、
青い髪の彼の顔に、
青く発光するヒビのような物が浮かび上がりました。

そのヒビは、
蜘蛛の巣のように顔全面に広がったかと思うと、
またすぐに消え、そしてまたすぐに浮かびあがり…


「ヴィッ君…!!」


ピースは彼に走り寄り、肩をつかみました。
するとその肩からも、青いヒビが浮かんで、
全身へと広がります。


びっくりしてピースが手を離すと、
青い髪の彼はマンションの入り口へと進みました。


マンションの入り口は
オートロックで閉まっているはずでしたが、
青い髪の彼が近づくと、
まるで主の帰宅を迎え入れるかのように、
入口のガラス扉がすっと開きました。


「ヴィッ君!! えっ、入るのかよ…」


ピースは彼のあとを追い掛けました。


エントランスを抜けると廊下があり、
その一番最初の部屋の扉の前で、
青い髪の彼が立ち止まっていました。
部屋の扉には、「101」と書かれています。


「何…どういうこと」


「セルティス101だよ」
と、青い髪の彼は答えました。


「知り合いの家!?」


その質問にはもう答えてくれず、
青い髪の彼はゆっくりと手をドアノブにかけ…


「まじかよ…」


とピースが言うのと同時に、
青い髪の彼はそのドアを勢いよく開きました。


ドアはすんなりと開きました。
鍵もかかっていないようでした。
そして、青い髪の彼は、
その部屋の中へと侵入していきました。


「開けたんだから、そりゃ入るわな…
そりゃ入るさ…そりゃ…」


などと、ピースは小言のようにつぶやき、
おどおどしながらも彼のあとに続いて部屋に入りました。


ピースの脳裏に、
西新井警察署で世話になったことのある刑事の顔が一瞬浮かび、
これ、捕まるかな…などと考えましたが、
状況の異常さを受け入れるので精一杯で、
それ以上考えることはできませんでした。


玄関で靴を脱ごうとしましたが、
先を行く青い髪の彼が、土足のまま入っているのを見て、
ピースも靴を脱ぐをやめました。

もし逃げることになったら、
靴は履いていた方がいいし…
みたいな言い訳をピースは頭の中でしました。


暗い廊下があり、
左手にはバスルームがありました。

廊下の先はリビングのようでしたが、
電気はついておらず、薄暗くなっていて、
視界はよく見えませんでした。

ただ、他人の生活臭がし、
明らかに人様の家に侵入しているのだと
ピースは実感しました。


ピースの前を歩く青い髪の彼は、
リビングの真ん中ほどで足を止めると、
左側を向きました。

見ると、彼のすぐ前には、
引き戸があるようでした。


引き戸の隙間から、
僅かに光が漏れているのが分かりました。

その向こうに誰かいるのかもしれない…と、
ピースは咄嗟に感覚しました。

既に忍び込んでいるにもかかわらず、
そのことを思うと、急に冷や汗が出ました。


小さな震えるような声で

「ヴィッ君…か、帰ろ…」

と懇願しましたが、
青い髪の彼はそれを無視して、
その引き戸を開けました。


…引き戸の向こうには部屋がありました。

ブーーンという低い機械音のような音が聞こえています。
電灯はついていませんでしたが、
部屋にはPCモニタがあり、
そこにバグったようなノイズがまぶしく点滅していました。


「ふぅ…」


そこに誰も居なかったことに、
ピースは溜息を吐きました。


「ヴィッ君…、知り合いの家なのか?」


ピースがそういうと、
青い髪の彼は、ピースの方を振り返りました。


「えっ…」

…と、ピースは驚きました。

青い髪の彼の顔が、
無数の青いヒビで埋まり、
その部屋にあるPCモニタに浮かぶノイズと同じように、
チラチラと明滅して、
時々、瞬間的に、彼の顔の、
ヒビで囲われた小さな領域が透明になって、
向こう側が透けたりしています。


ピースは心配になって彼の体に手をやろうとしましたが、
手が彼の肩に触れようとした瞬間、
バチリと青い小さな稲妻が走ったかと思うと、
ピースの手は、青い髪の彼の体をすり抜けてしまいました。


「ヴィッ君…!?」


「ここは…、ゴッドルーム…」


「え?!」


「このPCには…、シーツリーが入っている…」


「は!?」


すると青い髪の彼は、
何かに気づいたみたいに、
その部屋の隅の方へ振り返りました。

彼の後ろ姿にまで、青いヒビは広がり、
それは更に激しく暴れながら明滅して、
彼の体の一部を消したり戻したりしています。


「ヴィッ君、頼む、もう帰ろ…」


ピースは、自分の声が泣いているみたいに
淡く震えていることに気づいて、
少し恥ずかしくなりましたが、
そんなどうでもいいと思い、


「帰ろう、ヴィッ君!!」と続けました。


青い髪の彼は、
部屋の隅の角まで移動すると、
そこにしゃがみ込み、
床のフローリングの割れ目に指を差し込みました。

そうしている間も、
彼の体はもっと青白く激しく
粉々に明滅しています。


彼が腕を引き上げると、
それに釣り上げられたように床の板が持ちあがり、
その中に、地下へと下る階段がぬっと姿を見せました。

彼はもう迷うことなくその階段を下りていきます。


「ヴぃっくん…」


それはもう声になっていませんでしたが、
そう呟きながらピースは彼のあとを追いました。

そんな地下に降りたくありませんでしたが、
もう追い掛けることしかできません。


床の下は、真っ暗でした。

しかし、暗闇の先に、
うっすらと赤い何かが
発光しているのが分かりました。


その赤い発光物の前で、
青い髪の彼が膝をつき、指でそれを触りました。


それは、血のようでした。

血なのに、ほんのりと発光していました。


青い髪の彼は
ピースの方を振り返り、
茫然とした顔で、


「まだ温ったかい…、ここにいたんだ…」


と言いました。

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大井町で、
お風呂の王様というスパを見つけたウランとBは、
そこでたっぷりお風呂やサウナを堪能し、
ホカホカの体になって施設から出てきました。


「豪華な銭湯だったなー。最高だったぜー。なーウラン」

「まぁ…そうっすね」

「じゃー帰るか」

「あ、俺、一人で帰ります」

「なんでだよ。一緒に帰りゃいいだろ」

「お疲れ様です」


言うなり、ウランはBを離れ、
建物の一階にあったマクドナルドへ一人で入りました。
今日一日Bと行動が一緒で、少し疲れていたのです。


ウランはSサイズのコーラだけを注文し、
それを受け取ると、
片手に持ったまま店を出ました。

辺りを見回し、Bの姿がもうないことを確認すると
駅の方へと歩き出しました。


ポケットからスマホを取り出し、
時刻を見ると、21時でした。

歩きながらネットを見ていると
東京のどこかのビルで
爆発事故が起きたという
ネットニュースが目に入ってきました。

都会は物騒だなと思いながら、
どこのビルかを調べようとしていた時、

足に何かが当たって、
ウランは躓き、転んでしまいました。


「痛っ」


咄嗟に手を出し、
顔が地面に当たるのは防ぎましたが、
掌に大きな擦り傷ができてしまいました。

スマホも落としてしまい、
立ち上がりながら周囲を探そうとすると、

目の前に3人の男女が立っていました。
2人の男と、1人の女。
女の方はウランと似たセーラー服を着ています。


「うわ、ダサ。てゆーか、まじコイツじゃん、きも」


その女が、
ウランにわざと足を引っ掛けたのだと、
その時ウランは気づきました。


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ブラックライトで照らされた、
ちょっとおしゃれで妖艶な雰囲気の
薄暗いトイレの中で、
異質に立っている彼らの一人の、マントの男が、
入ってきたタイムレスに気づき、
振り返って言いました。



「また邪魔か」


マントの男は、エールシオンのようなアイマスクをしていました。
でもエールシオンよりずっと体格が大きく筋肉質で、
手には、赤色のうねるように曲がったナイフが握られています。


「ひ」と、
そのナイフを見てびっくりしたタイムレスの声が漏れた次の瞬間、
マントの男の向こう側に立っていた白シャツの青年が、
マントの男を後ろから蹴りました。


マントの男は前のめりに倒れかけましたが、
格闘家のような俊敏な動きで、即座に大勢を整え、
白シャツ青年に反撃するようにナイフを振り回しまた。


一方で、隣の女子高生のような女の子が、
彼女の向かいに立つピンク髪の眼鏡の女の子にタックルし、
ピンク髪の女の子は、後ろの個室の壁にぶつかって、
その勢いで、個室の壁が壊れて外れました。

外れた壁の隙間からは、
やはり個室の中でパーカーを着た男が倒れているのが見えました。

喉のあたりから出血しているようで、
個室内の床が血で濡れているのが分かりました。


「はははは、パーティーかー!?」


と、手前で座り込んでいたダークサイドが、
額から血を垂らしながら、ケラケラ笑って立ち上がり、
乱闘している彼らの方へ混ざろうとしましたが、
オメガが咄嗟に彼の体を掴んで止めました。


「あの向こうの人、血がすごい出てるぞ」


タイムレスはそう言うと、
その体には似合わない素早さで、
乱闘する彼らの横を、するりと抜け、
個室内で倒れているパーカーの男に走り寄りました。


「大丈夫か」


タイムレスが声をかけると、
男が少しだけ動くのが分かりました。


「オメガ! 店員呼ん…」


タイムレスがそう言い掛けた時、
タイムレスの目の前に、
白シャツの青年がドサリと倒れ込みました。


青年は、あたふたと驚くタイムレスを
仰ぐように見上げると、
何かに気づいたように目を細めて、


「あんた…」と言って、


そのまま動かなくなりました。


見ると、
青年の胸の真ん中には、
赤いナイフが突き立てられていて、
白かったはずのシャツが、
見る見るうちに赤く染まっていくのが分かりました。


「はっ…」
と、タイムレスが息を吞む中、

マントの男が近寄ってきて、
そのナイフをなんの躊躇もなく抜き取り、
今度はそのナイフを、
後ろで女子高生が押さえ込んでいる、
ピンク髪の眼鏡の女の子の、喉の真ん中に、
素早くて正確な動きで、ぐさりと突き刺しました。


タイムレスは口が震えて、声が出ませんでした。
もう何が何だか、訳が分からなくなりました。

妖艶で幻想的な内装のカラオケ店で、
幻想的で非現実的な何かが起こっていて、
これが全部夢じゃないなら、
このまま殺されても諦めがつくな…、とさえ思いました。


すると、
タイムレスの傍で倒れていたパーカーの男が、
微かに呻きながら、頭を揺らし、
ゆっくりと顔を上げて、
タイムレスを見ました。


二人の顔が合い、


その時、…地震が起こりました。


二人の目が合い、


…彼らの乱闘による揺れかとも思いましたが、
トイレ全体が揺れ出しました。
…次第にその揺れは激しくなり、
天井から埃が降り出し、
洗面台の水道管が外れ、水が噴き出し


二人の視線が交わされて…


次の瞬間、
それは、ものすごい磁力でガチッと
固められてしまったかのように、
タイムレスは彼の目を見たまま
動けなくなりました。


激しい震動の中で、
彼の瞳の中に、


…底のない奈落が、
…莫大な星々と無数の超新星爆発が、
…無限に回転し続ける時間の輪と、
…眩すぎるほどの光と闇と、
…宇宙の果てと宇宙の果てが鏡合わせになったようなどこまでも続く時空の螺旋と、


それらがその瞬間、
見えたような気がして、


…そして、
その七色の夢幻の旅路の終着点に、
タイムレスはドスンッと落下し、
突然、
目の前に若い頃の自分が現れたかと思うと、


はっとして、

…それが、
パーカーの男の瞳に映り込んだ、
顔面蒼白の自分自身の顔であることに、
タイムレスはようやく気づきました。


よく見たら全然若くないし、
頭も剥げてて
太ってて…


すると、
その瞳の鏡像が、
じわじわと赤く染まったかと思うと、
彼の目から赤い血が涙のように、つーっとこぼれて、


、…彼は、
粒粒の粒粒の塵になって、
タイムレスのすぐ目の前で、
嘘みたいに消失したのです。


いつの間にか、地震も収まっています。


マントの男が、
血が滴るナイフを持ったまま、
タイムレスの方を睨むのが分かりました。

女子高生もタイムレスを睨んでいます。

「お前なのか…?」


と、マントの男は言うと、
タイムレスに少しずつ近づき、
手に持ったナイフを振り上げました。


タイムレスは目をぎゅっとつぶりました。

咄嗟に逃げたかったのですが、
腰がすっかり抜けていて、動けなかったのです。

それに、何が何だか分からなくて、
動悸も激しく、呼吸困難で、
これはナイフ刺さりますねとタイムレスは思いました。


…しかし、

不思議にもナイフは刺さらずに、


代わりに、
ダークサイドがマント男の横から、
小さな体で突っ込んできて、

でも、
マント男はずっと大きいので、
それくらいでは微動だにせず、

けれどダークサイドは、負けじと
マント男の手に、
ガブッと噛みつきました。


カランと音を立てて、ナイフが床に落ちました。


それを、
オメガが間髪入れずに拾ったかと思うと、


あ、

…と思ったら、


オメガはそのナイフを両手で握りしめ、
マント男の脇腹辺りにぶすりと刺してしまって


あ…、

やっちゃった…


オメガそういうとこあるよ?
やりそうだったよ?

やっちゃったかーーーーー、

でもしゃーないよね?
でも正当防衛で通るよね?


…みたいなことをタイムレスが混乱しながらも思っていると、


隣の女子高生が
ダークネスを入口の方へ思い切り放り投げ、
ダークネスは入口の扉に当たり、扉が外れて、
廊下の壁にぶち当たり、


マント男は、
脇腹にナイフが刺さったままにもかかわらず、
赤い革の手袋をしたでっかい拳で、
オメガの顔面を殴り飛ばして、
ゴツンとにぶーーい音が響いて、
オメガはそのまま床に倒れました。


タイムレスは、
オメガの頭蓋骨割れたかと思いましたが、

なんかオメガの様子がおかしくて、
なんか虎みたいなグォーグォーっていう
喉を鳴らすような音させて、

オメガの顔とか首とか手とかに、
なんか、オレンジの毛がみるみるうちに生えて、

虎みたいな黒い縞模様も浮かんで、
鼻が黒くなって、目が充血して、


そしたら今度は、
そのオメガの方が、
マントの男の胸当たりを思い切り殴り返して、
オメガよりずっと体格のでかいはずのマント男が
びっくりするくらい吹っ飛んで、
トイレの壁にぶち当たって
タイムレスは口をあんぐりと開けた。


そしたら、
突然、

まぶしい光が差し込んだかと思うと、
その光がオメガに当たって、

すごい爆音と共に
オメガが後方へ吹き飛ばされて、

もう目がチカチカして、
辺り埃だらけで、

それまでブラックライトで照らされていた暗いトイレの室内が、
なんでか明るくなっていて、

っていうか、瓦礫の隙間から空まで見えていて
っていうか、反対側の壁が綺麗に切り取られたみたいになくなってて、


上野の繁華街とか、道路とかが見下ろせて、
そっかここ7階とかか、って思って、


そんだら、目の前の空中に、
銀色の女の子みたいなロボットみたいなの浮いててよ、


かと思ったら、
ガァァァアアアアって咆哮が聞こえて、

瓦礫の中から毛むくじゃらのオメガ出てきて、
まだやれんのかこいつすげえ、と思ったら

ロボットの目がピカッて光ってレーザー出て、
オメガの体にぶち当たって、爆発起きて、

オメガの体、コンクリの中に押し込まれて、
天井崩れてきて、


もうこれいかんわ…
わやや…


そんで今度こそ
ロボットとかマント男とか女子高生とか、こっち見て…

こっちくんなーーーーーーーーーーーー

おっしゃ、
もう分かった、

俺の真の力を見せる時が来たか

はーあ、とうとう私の本当の力を出す時が来たようですね…

実は私、すごい力を持っていましてね…

腰はもう抜けて立てませんが、右手は動かせます。
右手が動かせるなら十分!!!!!

うおぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!

俺は右手を震動させた。

そしたら、
ちょっとだけチリッて
黄色い稲妻が出たような出なかったような

はい、終わりですね。
殺してくだせえ。

うわああああああああああ


…と、
タイムレスは全てを心の中で諦めました。

ところが、その時、


周囲に、ヴィヒレトイの髪のような青色の、
ヒビの形をした光の塵が、
一斉に発生したかと思うと、

それはオレンジ色に変わって、
マント男と、女子高生と、ロボットと、
それから、倒れている白シャツの青年と、
ピンク髪の眼鏡の女の子を全員包み込んで、

そのままそのオレンジの塵は1つに集まって、
ぴゅーんって、どこかへと飛んで行きました。


マント男の姿も、女子高生も、ロボットも、
白シャツの青年も、ピンク髪の眼鏡の女の子も、
その光と一緒に消えてしまったのです。


タイムレスは、ぽかんとしていましたが、
まさか、
ダークサイドとオメガも消えたのでは、と焦り
なんとか立ち上がると、
急いで瓦礫をどけて、
廊下の方へ出て、
二人の姿を探すと、

ダークサイドは廊下の端の方に倒れていましたが、
ちゃんと生きていて


でも、
オメガの方は、どこにもいなくて、
ダークサイドや、お店にいた他の人達や店員さんや消防士の人達と一緒に探し回って、
そしたら、
2時間後くらいに、店のビルの前で、
歩いてきたオメガと再会できました。


聞くと、
オメガは上野公園で目が覚めて、
店のビルまで戻ってきたそうです。


オメガの服はぼろぼろになっていましたが、
毛むくじゃらだった毛は消えて、
元の姿にもどっていて、
覚えてるのか?とタイムレスが聞いても、
あんまり覚えていません…、とオメガは答えました。


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その日の出来事の全てを理解していたのは、
青い髪の彼一人だけだったかもしれません。


シーツリーという宇宙の端の端に存在した部屋、
ゴッドルーム・セルティス101…

それは、
シーツリー内の夢の交わる領域・西新井という街に存在していて、
西新井は現実にも存在するから…
この現実の世界にも、
ゴッドルームが存在している可能性は、
最初からあったんだ。


なら、そこには当然…


でも、そこに"彼"の姿はなかった……。
シーツリーのゴッドルームにおいても、
"彼"の姿はいつの間にか消失していた。

そして、シーツリーのゴッドルームでは、
消えた"彼"と入れ替わるように…、
その地下に…
"やつ"が出現していた。


"やつ"は、
"彼"自身がシーツリーの世界を滅ぼしてしまうのを止めるために生まれた、
"彼"の影であり、"彼"の裏返しの存在…


青い髪の彼は、
その"やつ"のことが恐ろしくてなりませんでした。


何故なら、"やつ"は、"彼"を全否定する存在であり、
シーツリーの世界を守るためなら、
その"彼"さえ殺してしまっても良いと考えるほどの
強過ぎる思いを持った存在だったからでした。


そして、その"やつ"が、
この現実の西新井に存在するゴッドルームの地下に…、
出現してしまっていることを、
青い髪の彼は知ったのでした。



何故"やつ"が出現したのか…
終わったはずのシーツリーの宇宙で何かが起こったのか、
それとも、現実のこの宇宙で、何かが生まれたのか…

それは、青い髪の彼にもまだ、分かりませんでした。


けれど、この日自分達の周りで起きた全ての事象が、
その"やつ"の出現と関係があるということだけは、
青い髪の彼には、彼が持つシーツリー宇宙との霊的繋がりによって、
はっきりと分かっていたのでした。



青い髪の彼が恐れる、"やつ"の名は…、


ルカード


"やつ"の望みは、"彼"の全否定。








戻れない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




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第10.999999話 もう一人の彼