2022 / 3 / 1


きもい

バイトの20の女の先輩から言われた。

くさい

お客さんから言われた。

きもい

バイトの20の女の先輩から言われた。2回目。


夜11時に帰宅し、
インターネットをする。


腹が立っている。
俺は腹が立っている。

ずっと。40を越えた辺りから、ずっと。


やかんに水を入れて、ガスコンロの火をつける。
お湯が沸くまでの間、
グーグルで、
『 openload コスプレ お尻 』で検索。

あのバイトのクソ女…
あのクソ客…

そう言いながら、俺は震えた。


右手でマウスを持ち、左手を限界まで振動させる。
振動。震動。手を震わせ、椅子を震わせ、
机やパソコンを震わせ、ボロアパートの床を震わせ、
隙間風の入る窓ガラスを震わせ、
震えろ…
夜よ、震えろ…
街よ…、月よ…、
震えろ…もっと、もっと


だが、どんなに震わせても、
ちんちんは立たなかった。


それでも、俺は、
癇癪のように、だだをこねるように、
バイトのクソ女をののしりながら、
全世界を、全宇宙を、震わせようと、もがいた。

…あらがおうとしたんだ。

おれはきもくない…
おれはくさくなんかない…
お前らがくさいんだ…

右手から火花が散るほど、俺はあらがった。

いつの間にか俺は泣いていた。
45を過ぎた頃から、
ちんちんは10回に1回しかたたない…。


俺の小さな部屋には、
とっくに沸騰し切ったやかんの、 「ピーーーーーー」という音が、
いつまでも響いていた。


ガスコンロを止めると、
俺は力なく、そのお湯を流しに捨てた。

食欲はない。
義務で食べようとしただけだ。
右手で、突き出た腹の側面をなでる。
腹の奥に圧迫感がある。
強く押すと、刺すような痛みと吐き気がする。
半年前に病院へ行った時、影があるから再検査を
受けて下さいと街医者に言われたが、
怖くて行かなかった。


再びパソコンの前に座り、
音楽ソフトを立ち上げて、作曲をしはじめた。


20年前、俺はボカロPだった。
あの頃、俺は輝いていた。
イベントではファンの女の子達にワーキャー言われていた。
俺は彼女達の、"王子様"だった。

しかし、やがて俺は、腹が出て、頭がはげあがり、
きもくなり、くさくなり、
周りには誰も居なくなり、
気付けば50になっていた。


でも、俺は今でもボカロ曲を作っていた。
センチメンタルでキュートな曲を作り、
Youtubeに投稿していた。

20年前は、10万再生だっていけた。
でも今は、多くて30再生、その内の半分は自分だった。


それでも構わなかった。
いつかまた、奇跡が起きればいいんだって…。
きっといつかまた…。

うっ、腹が痛い…。

俺は痛みをごまかすように、
大音量で作曲をした。


今作っている曲には自信があった。
歌詞はもうできあがっていた。
タイトルは『タイムレス』
時代を超えるという意味だ。
俺は時代を超えて、輝いてやるんだ…。


深夜1時、作曲を中断し、
お風呂を沸かし、アロマの入浴剤を入れた。
服を脱ぐ前に、
ジャスミンのキャンドルを、バスタブの淵に添える。

それに火をつけようと前かがみになった時、


どぼーーーーーーーーーーーーーん


次の瞬間、
俺は海の中にいた。


まっくろな海の底だった。


突然肺の中にまで海水が入り込み、
パニックになりながらも、海面へと飛び出る。


今にも落ちてきそうな真っ黒な空が、海の上に広がっていた。
視界の端には、船や港が見えた。

俺は死に物狂いで泳いで、どうにか埠頭へと辿り着けた。
這い上がったコンクリート場に、ぴちゃっぴちゃっと、
濡れた俺の体から海水が滴る。
息を切らしながらも、なんとか立ち上がると…


…そこは、真夜中の東京湾だった。

何がどうなっているのか、全く分からなかった。


そして、俺は何も分からなくなっていた。
自分の名前が思い出せない…。

自分が何者なのか、
自分には家族がいるのかどうか、
自分がいったい何のために生きてきたのか

…俺は記憶を失っていた。


ふと、ズボンのポケットに手をつっこむと、
一枚の濡れた紙切れが入っていた。

何かの音楽事務所の応募用紙のようだ。
自分の名前が書かれているかと期待したが、
何も記入されていなかった。

それを再びポケットにしまい、
びしょ濡れになった服を着たまま、
俺は夜の東京湾を呆然と眺めた。


…その時、
不意に頭の中に、1つだけ言葉が浮かび上がった。
俺は何故か、その言葉だけを覚えていた。


…『タイムレス』

意味は、時代を超える…


それが俺にとってどういう言葉だったのかは分からない。
でもきっと、俺にとって大事な何かだったんだ。

俺はその言葉を、"自分の名前"にすることに決めた。

突然、停泊していたタンカーから
ぶぉおおおおおおおおおおという汽笛が鳴り響く…。

俺は大きく息を吸い込むと、
その汽笛に負けないくらいの大声で叫んだ。


俺の名はタイムレスだ…!
俺は時代を超える男、タイムレスだ…!!


そう叫んだ時、理由も分からず涙が出た。



戻らない!!!!!!!!!!!






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第10話 タイムレス