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外 宇 宙 の 日 記
教育とコンサルとアマチュアの論理
🪐 sismi

状態: 公開 | 作成: 26/03/20 10:10 / 更新: 26/03/20 10:10 👤 23 いいね 3


 教育とコンサルとアマチュアの論理は、
全て紙一重のように感じられると同時に、
その結果の評価に大きな差が生まれそう、と感じています。

 こんな風に並列させてみたのは、私がとても、人に何かを教える、というのが
極端に下手だな…、と感じることが、これまでの半生において、数回あったからです。
 わずか数回なので、普通の判断としては不十分ですが、
私の半生の中では、自分の印象として比較的目立って感じられています。


 教育は、とにもかくにも、相手が「それ」を習得し、成長することが主な目的の1つと思いますので、
もしそうだとするなら、そのために、「それ」を好きになり、やる気に満ちるように導くのが
手法として重要になるかと思っています。
 なので、そう仮定すると、逆に、相手がやる気を失うなら、それは教育として失敗と言えるかもしれません。

 一方、コンサルは、相手が知らないことを伝えることで、
相手が新たな利益を生めるようにサポートすることだと捉えるとすると、
重要なのは、その結果に尽きるかなと思っています。
 同時に、その伝える内容も、誰にでもできるようなマニュアルや手法としてパッケージされていることが
一般的なコンサルの前提のようにも感じます。
 なので、こちらは、利益を生めなかったとしたら、それはコンサルとして失敗と言えるかもしれません。
 また、その内容が、相手がそもそも現実的に不可能なことや困難だった場合も、
コンサルとして十分なパッケージ化ができていないという意味で、それは失敗になるかもしれません。

 そして、アマチュアの論理とは、
知見や経験が伴わず、推察や想像も不十分なポジションから、
そのカテゴリにおける、完璧な状態と比較してみせることで、
その落ち度を凡庸にフォーカスする思考のことだすると、
前の2者とは大きく異なるものになります。
 他の2つの私の概要と比較するなら、
「結果に誘導できないコンサル」、という矛盾めいた概念とも言えるし、
「やる気を喪失させる教育」、とも言えるかもしれません。


 しかしながらこれらの3つはとても良く似ているなと思います。
 実際の現実でも、混同されることが多く、頻繁に同じ空間に共存しているように感じます。


 そして、
私は、私が誰かに何かを教えようとした時、
まず、結果的にやる気を失わせてしまいます。

 なのでこの時点で、前述の意味では、教育として失敗になります。

 どうしてやる気を失わせるのかと振り返ると、
理解を深めさせようとして、悪い意味での生々しいシミュレーションを伝えているのではと自己分析しています。


 私は、相手や、見えない人間が、「それ」と対峙すると、
どのような気持ちになるかをいい当てるのが得意だと思っています。
 例えば、友達のAさんが、Bという物と対峙した時、Aさんの心理状態を予想するのが得意だと思っています。
 あるいは、私が会ったこともないCさんが、私がそれまで知らなかったDという物と対峙した時の、
Cさんの心の中の様子も、その場で、CさんとDの最小限の情報だけで、予想するのが得意だと思っています。

 実際、それがどれだけ機能しているかどうかは別にして、
私が自分でそう思っているため、
便宜上、生徒という言葉を使わせてもらうと、
生徒が、Eということをした時、それを見たFさんや、Gさんや、Hさんが、どう思うかをシミュレーションして、
その気持ちを、生徒に伝えることで、生徒のトライ&エラーを、短縮させようとしてしまいます。


 そして、実際、その真っ只中で、
私がそれを生徒に伝えると、その生徒がどんな気持ちになるかも予想して、
これは生徒がやる気を失うぞ…、と分かっているにもかかわらず、
…でも、短縮できるし、そのシミュレーションを前提とすれば、誰でも簡単にできる方法で、エラーを最小にできて、
結果に結びつけられるから、一時的な生徒の気持ちを無視しよう、
と判断してしまいます。


 …仮に、もし私のシミュレーション能力が本当に超人的に高いのであれば、
前述の概念として、教育には失敗しても、それによって結果に結びつくなら、
コンサルとしては達成していることになり得そうです。


 しかし、残念ながら、それが結果に結びつくことはありません。

 何故なら、生徒はやる気を失っているからです。
 仮に誰でも簡単にできる方法を伝えられていたとしても、やる気を失った生徒がそれをやることはありません。


 …ということは、
 「結果的に」、結果に誘導できていないため、
前述の概念としては、コンサルとしても失敗していることになってしまいます。


 …だとすると、
私がやったのは、教育でもなければ、コンサルにも満たない、ただのアマチュアの論理と、
結果上は変わらない…、ということになります。

 もっと正確には、コンサルとアマチュアの論理の中間の、別カテゴリに割り振られそうではありますが、
範囲を3つするなら、3番目になるでしょう。


 最後にこの改善点を考えます。

 そもそも、シミュレーションが正しいかどうかは、誰にも分からないことかなと思います。
 あくまで確率論であり、また、私のシミュレーション能力が高いかどうかも、あてになるものではありません。

 世の中は、大衆的であり、マクロとしてマスとして単純であると同時に、
やはり常に流動し、混沌とも言えてしまうものでもあるでしょう。

 また一方で、私自身が、その単純さを個人的に嫌っていて、 
その感情が、自分のシミュレーション結果を常に恣意的に歪めることも、私は自覚的です。
 そうなると、もはやそんなものはうんこなのです。

 ならば、頭でどう思っていようが、それを生徒に伝えるのは間違いと言えてしまいますか?
 その可能性はけっこう高いかもしれません。
 少なくとも、やる気を失ってる時点で、間違いなのは、間違いないのです。間違いないのが間違いない!!!!


 これを最初に感じたのは、20年前くらいに、ネットで、AMファンの人に、囲碁を教えようとした時でした。
 別に私は囲碁が強いわけでも熟練者なわけでもなかったのですが、自分が知ったことを伝えようとトライし、
失敗していると自分で判断していました。

 その後、似たような別の機会が数回訪れましたが、その時も、分かっているのに、同じことをしてしまい、
これは、分かっているのにやってしまうため、自分には苦手なことなのだと思うようになりました。
 改善できるとするなら、シミュレーションではなく、別のアプローチからの伝え方ということになるでしょうか。
 しかし、それが一体、なんなの私には分かりませんでした。
 つまり、数回のトライで、改善を諦め、自分には不得意であり、ならば無縁のものとして、
教育という概念に立ち会うようになったようです。

 今回の3つの前提を踏まえるなら、改善点は、そもそも確かな結果を、生徒に求めさせようとしているのが
教育として間違っているような気がしました。

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